バラック=不運というイメージは、メディアがつくってきた一面もある。先に挙げた「ewige Zweite(永遠の二位)」だけでなく、「tragische Held(悲劇の英雄)」という呼び名も、バラックにはついてまわる。W杯を目前にした2010年5月、相手選手に削られて重傷を負った時に、Bild誌に載ったコラムのタイトルもこれだった。そしてこの怪我以降、バラックの運命は坂道を滑り落ちるように降下し続け、なおさらメディアは彼を「悲劇の英雄」と定義づけた。バラックが「キャリア最後」と語っていたW杯を欠場、そして「このチームで引退したい」と熱望していたチェルシーFCからの強制退団。怪我を克服して復帰したのも束の間、再び相手選手に削られて重傷を負う。数ヶ月後に復帰した時には、すでに代表チームに彼の居場所はなかった。――とまあ、ざっと振り返ってみると、表面 的には確かに悲劇だ。「滑り続けるバラックの運命」と、イングランドの新聞は書いた。だが滑り続けて落ち着いた場所が、古巣のレヴァークーゼンだったこと。目立つ「悲劇」の陰で見過ごされがちたが、それは大きな幸運だった。 レヴァークーゼンに復帰するよう、バラックに働きかけたのはフェラーだった。「バラックの大ファン」を自認するフェラーが、レヴァークーゼンのスポーツディレクターであったことも、バラックにとって幸運だった。 |
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ドゥット新監督を迎えて始まった今シーズン。シーズン前にはバラックの不名誉な「代表強制引退」騒動があり、「バラック時代の終わり」を強く印象づけさせた。もう35歳になるのだから、それは仕方がない。だが代表からの引退が不名誉なものだった(ある意味バラックらしいのだが)からこそ、このまま終わっちゃいけない。こんな素晴らしい選手が、このままキャリアを終えるなんて絶対ダメだ。必ず、クラブでは名誉挽回となるような活躍をしてほしい。それは、彼を応援する世界中のファンの願いだっただろう。 私はといえば、旅行の準備を進める中で、無意識のうちに「旅の目的」を試合観戦以外にもたくさん作っていた。そう、中盤に実力派の若手がひしめく今のチーム状況からいって、バラックは試合に出場できないかもしれない。どうせ行くなら楽しい旅にしたいから、バラックが試合に出なかったときの「保険」として、サッカー以外にもたくさん目的を作ろう。幸い、ドイツにはバウハウスやビルケンシュトックなど、私の好きなもの、興味のあるものがたくさんある。 |